人生初手術

𝚃𝚠𝚒𝚝𝚝𝚎𝚛でも度々ツイートしていましたが、10/6に「気胸」という病気に罹ってしまいました

3日前の10/20に無事退院したのですが、気胸の怖さ等を皆さんに知って頂きたいと思い、このブログを書きました
実際僕もこの病気に罹るまでは、「花の名前かな」と思っていました(桔梗)
未だに左胸が時折痛むので、5分も立てなかったり、左腕が上げられなかったりします
主治医曰く、完治までは後1,2ヶ月は掛かるそうです
1.  気胸とは何か
 
気胸とは、簡単に言えば肺がパンクする病気です
もう少し詳しく言うと、
❶肺に「ブラ」というシャボン玉のようなものができる
❷ブラが破れて肺にあった空気が体内に漏れ出る
漏れ出た空気が肺を圧迫し、胸が痛んだり、息が苦しくなったりする
という事です
気胸の中でも「自然気胸」という病気は、10~30代の細身の男性によく起こる病気です
残念ながら、僕はその全てに当てはまっていました
それ以外にも、肺気腫等が原因で起こる「続発性自然気胸」、交通事故等の外的要因が原因で起こる「外傷性気胸」、女性の病気に併発して起こる「月経随伴性気胸」等があります
つまり、若くて細い男性だけに限らず、お年寄りや女性等、全ての方々に起こりうる病気なのです
 
僕の場合、左の肺が気胸になって、半分程度に萎んでいました
両方一度に気胸になる事は少ないですが、もしそうなった場合息ができなくなるので、その点ではとても危険な病気です
2.  発症から入院まで
 
10/6の19時頃、帰宅途中の電車内で発症しました
息を吸う度に、胸をナイフで刺されているかのような強い痛みがあって、息をするのがすごくしんどかったです
本来は急行に乗らないとダメだったのですが、その日は間違えて各停に乗りました
「帰るだけだし、ゆっくりでいっか」と思って何駅か過ぎた後に発症しました
痛すぎてとてもではないが自力で家まで帰れないと思い、親にLINEして状況を説明しました
救急車を呼ぼうか検討した程に痛かったです
その後、駅まで親が迎えに来てくれて、車で最寄りの病院に向かいました
病院に着いたら痛みも落ち着いてきたのですが、その日は呼吸器官担当の医師がいなかったので、その病院で1泊しました
そして次の日CTを撮って気胸が判明、入院になりました
3.  入院から転院まで
入院数日目に「胸腔ドレーン」という管を肺に入れて、漏れ出た空気を体外に出す治療をしました
その治療について、詳しく話していきます
まず局所麻酔をして、胸に数cmメスを入れます
そして、ドレーンを肺の中に入れて、抜けたり入りすぎたりしないようにドレーンと体を糸で縫い合わせます
言葉で説明するとすごく痛くて怖そうですが、麻酔をしてるので、痛みは全くありませんでした
ただ、治療が終わって数時間すれば麻酔が切れてくるので、少しばかり痛みが出てきます
ですが、発症した時の痛みに比べれば全然我慢できる程度でした
そして、ドレーンに繋がれた生活を半週間~1週間過ごした後、レントゲンを撮ったら、また左の肺が半分に萎んでいました
右の肺にも小さなブラがあったので、主治医の方に「左の肺を治療している時に右の肺も気胸になったら命の保証はできないから、手術した方がいい」と言われました
手術のことは既に気にかけていたので、「驚き」や「恐怖」はそんなに感じませんでした
ネットで調べに調べまくっていたので、気胸とは何か、気胸になる原因、治療の方法、手術の種類、全部知っていたのです
肺気胸の手術は主に2種類、胸腔鏡(キョウクウキョウ)手術と開胸(カイキョウ)手術があります
胸腔鏡手術の方を僕は受けたので、その手術については、後程説明しますが、簡単に言うと脇腹に3ヶ所穴を開けて、機械を使って手術する方法です
開胸手術は読んで字の如く、胸全体をパカッと切り開いて手術する方法です
なので、開胸は絶対に嫌だったのですが、胸腔鏡なら受けてもいいかもと思っていました
手術を受けるのと受けないのとでは、再発のリスクがかなり変わってくるからです
手術は正直したくありませんでしたが、再発した時の痛みを思うと、手術の方がマシだと思いました
 
そして、手術の種類を主治医の方に尋ねると胸腔鏡だったので、じゃあ受けます」と言いました
ですがどっちにしろ、今の病院では肺の手術をできる人がいなかったので、ちょっとだけ遠くの病院に救急車で親と一緒に向かいました
 
 
4.  転院から手術まで
 
10/11の17時頃に、転院先の病院に到着しました
元々平熱は36.6で割と高かったのですが、日に受診したときからずっと体温が37度台でした
そこで、時期も時期だからという事でPCR検査をしました
検査結果が出るのは明日だったので、ベッドが4床入るくらいの大部屋で独りで寝ました
消灯後は静かで誰もいなかったので、暇だし現状を記録しておこうと思い、今の状況を録音しました*¹
翌日、結果はマイナス(陰性)だったので、普通の4人部屋に移動して手術の日を待ちました
5.  手術から現在まで
 
10/14、その日は朝から何も食べたらダメでした
全身麻酔でするので、胃を空っぽにしておかないとダメだったのです
朝から点滴を打ったのですが、液の成分を調べると、組織外液(?)とほぼ同じ成分の水でした
昼頃に看護師に呼ばれ、手術室に車椅子で移動しました
手術台に寝て、酸素濃度を測るプローブを指に付けたり、脈拍等を測る電極を体に付けたりしました
そして、点滴の横から麻酔薬を入れたのですが、結構滲みて痛かったです
 
フッと瞼が重くなり、息ができなくなりました
そして次気が付いたら親の声がしていました
「うん、うん」と頷いてはいたのですが、目は見えていないし頭もボーッとしていたので、何を喋ったかは全く覚えていません
そして、𝙷𝙲𝚄という部屋に運ばれて1泊しました
術後すぐは目を開けたくても瞼が重すぎて開けられませんでした
やっと目が開けれるようになったと思ったら、発症した時の何十倍も強い痛みを感じました
通り魔に八つ裂きにされてオーバーキルされているようで、痛いとかいうレベルではありませんでした
僕は今まで「死なない限りどんなことでも頑張る」という精神で過ごしてきましたが、その時は人生で初めて「死んだ方がマシだ」と思いました
「こんなに痛くて苦しい思いをするくらいなら、いっそ死んだ方が楽になれるのでは」と
ですが、その痛みも翌日の昼頃には徐々に治まってきたので、「やっと楽になれる」と思いました
でも、現実はそう上手くはいきませんね
 
痛みが治まってきたのは、点滴で入れ続けている鎮痛薬のおかげだったのですが、その薬の副作用が出てきたのです
強烈な目眩と吐き気がして、立とうにも立ち方を忘れていました
息の仕方すらも忘れていたので、意識して息をしないとダメでした
それも徐々に収まってきて楽になった頃にレントゲンを撮った結果、ちゃんと膨らんでいました
すると主治医の方から「もう退院できるけど、どうする?今日する?」と言われました
ですが、肺もまだ痛んでいたので、「取り敢えず今日はやめておきます」と言いました
そうしたら「じゃあ明日する?」と言われました
「いや、そういう問題じゃない!」と思いながら、「親と相談して決めたいと思います」と言いました
そして親と相談をして、20日の14時に退院する事に決定、無事退院して今に至ります
6.  病院食について
親は料理人なので、毎日朝昼晩の食事の写真を撮ってLINEで送っていました
親はいつも「彩りが悪い」と言っていました
普通は赤や緑の色を入れてカラフルに仕上げるらしいのですが、病院の食事はほぼ全て茶色でした
味に関しては、特別美味しい訳でもなく、特別美味しくない訳でもなかったです
ただ、白米だけはすごく美味しかったです
すごくフワフワしていて、家の白米とは全然違いました
調べると、一部の病院ですが、「ひとめぼれ」という品種の特Aランクのお米を使っているようです
もしかすると、僕が入院していた2軒の病院もそのひとめぼれを使っていたのかもしれません
特Aかどうかは分かりませんが
7.  原因と予防方法
僕が気胸になった原因は、正直分かりません
原因が分からない事を、医学用語で「特発性」と言います
なので、僕の罹った病名は「特発性自然気胸」です
特発性気胸は、若くて細い男性が罹りやすいと冒頭にも書きました
という事は、対偶を取れば「太れば罹らない」という事になります
年齢と性別は、自分で変えようと思って変えれるものではありませんが、体型は努力すれば変えられると思います
 
僕の体重は、標準体重に対して10kg以上痩せています
右にも小さなブラがあるので、それが破ける前に筋力を付けないといけません
なので、今の痛みも治まって、深呼吸したり全速力で走ったりできるようになったら、今流行りの𝚁𝚒𝚗𝚐𝙵𝚒𝚝をやりたいと思っています
それまでは、ウォーキングや𝚆𝚒𝚒𝙵𝚒𝚝等で体力を回復していく予定です
今回の件で、健康の大切さがすごくよく分かりました
時節柄インフルやらコロナやらで大変だと思いますが、皆さんもどうか御自愛下さい